<映像投影を劇場の外に求める>

1900年代までは演劇的映像上映で浮遊映写を試みていたが、2000年代以降、フィルムからmini-DVなどに
メディアが移り変わったのをきっかけに、今度は液晶プロジェクターを街中に持ち出してみた。
多くのバンドやライブハウス、イベント会場などに映写マンとして参加した。
その頃すでに、DJならぬVJという言葉が定着し始めていた。
ターンテーブルにプロジェクターを乗せた移動映写や、通称手具す付ダンボール・パカパカを利用した
カット・イン、カット・アウト、中継や、都市実写映像、自作アニメーション・フィルムなどを、
大きな布スクリーンや都市の壁に映し出した。

エイゼンシュテインは、原始時代の創造者(生産者)と鑑賞者(消費者)は
もともと統一されていたのに、産業や階級の発達で、舞台と観客席に分断させられてたと
述べている。これらの分断は、新しい次元、未来のビジョンにより、統一の可能性があると謳った。
そして立体映画(今日でいう3D)は、舞台と観客席の境界を取り払う可能性の一歩であると述べた。

市街に持ち出され、自由に各所各生命体に光を投げかける事のできる液晶プロジェクターは
舞台と客席がかろうじて一体となり、新しい可能性を生み出せるアナログの立体装置のように思えた。

ただし、この頃の高ルーメンのプロジェクターは一人で長時間持てないほど重量があり、
ちょうど小さい洗濯機や冷蔵庫に匹敵するぐらい重く、持ち運びには非常に苦労した。
参加したイベントやライブは複数の主催者・著作権者によって成立している。それらを配慮し、
会場の一部や、私が作画・撮影・編集を担当した映像を小さいサイズにし、ほんの少しだけの紹介にとどめたい。



どの上映会でもライブでも、基本的に上映直前まで
プロジェクターの存在は観客には明かさない。
先入観や独自の想像が生まれてしまい、表現を
白紙で体感する事ができなくなるからである


3面回転式マルチスクリーンによる映像投影の図。
ライブハウスの場合はさらに天井・フロント、全ての
照明とコラボレーションできるというのが
最大の魅力である。



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