「ワークルール・エグゼンプション」
(2011年/発行:労働の友社)

第一部で少し文章を書いている。
特に2000年以降、心より金を優先する日本の産官学・
政財の変化・劣化には、目に余るものがある。








「Tokyo graffiti #079」
(2011年/発行:グラフィティマガジンズ)

10〜20代の人向けに、お薦めしたい本、映画、音楽を、
一作品ずつ紹介。書棚の写真も掲載されている。








「人はなぜ恐怖するのか?」
(2009年/発行:メディアファクトリー)

とても判りやすいお化け屋敷の現場の本。
「楳図かずおのお化け屋敷」以来、長い年月、仕事を振っていただき、
お世話になっているプロデューサー著による。白黒で小さくではあるが
昔描いた「The 13 Doors」のイメージ・ボード1枚が掲載されている。








「毎日小学生新聞」
(2006年/毎日新聞社)

毎日小学生新聞・小学生特派員記者の取材を受けた。
アニメーション作りに一番大切な事はチームワーク。
アニメーションを見た人たちが良い社会を作っていこうと
思うような作品作りが必要であると記者に語った。








「放送レポート」
(2003年・11・185号/編集:メディア総合研究所/発売:晩聲社)

主に現代の商業アニメの抱える問題、子供や性差、海外と日本、
放送やメディア、教育現場や社会の問題などについて、
現場で働く人、中学校教諭、母親代表らが集まって座談会を行なった。
私はこれからの時代、大企業主導の製作体制に未来はなく、
国民自らによる自主製作・自主上映するしか道は無いと主張。








「ジャパニーズ・サイケデリックカルチャーのオリジネーター
J・A・シーザーの世界」
(2002年/発行・百夜書房)

演劇音楽というためか、現代音楽シーンで評価が埋もれている
天井桟敷出身の作曲家・演出家・J・A・シーザーの活動歴や
業績、ディスコグラフィなどを1冊にまとめた本。
※ペンネームで執筆参加。








「世紀末倶楽部」
(2000年/発行:コアマガジン)

これからのアニメーションは、ミスやライブ・ライブ感も
含めて、もっと生(なま)な、舞台の生中継のような緊張感と
人間臭さが必要であると記している。
※ペンネームで執筆参加。








「ツナミ」
(1994年)

1994年から2000台前半まで、フランスやオーストラリア、香港など
各国の雑誌、ラジオ、テレビなどの取材やインタビューを受けた。
常に、日本のアニメの薔薇色の未来を語る前に、日本の商業アニメの
知られざる現場環境や労働条件・賃金や報酬の劣悪さを強調した。
そして市民独自の表現・制作にこそ未知なる可能性があると話した。
写真は1994年、フランスの日本アニメ専門誌の先駆である「ツナミ」。








「産経新聞」
(1992年/産経新聞社)

当時行なっていた、秘匿をモチーフとした映像市街実験で
文化部の取材を受けた。しかし、情報が伝達される場合、
先入観や事前情報の露呈が大きく影響し、それによって
作品の真意、観客の印象や思考・判断を大きく鈍らす事に
繋がるので、新聞等で一切情報は公表できないと話すと
記者の人はすぐに納得してくれ、文化欄に「詳しい内容は
判らないが、何かを行なうらしい」と、情報非公開のまま
大々的に報じた。おおらかな時代であった。








「キネマ旬報・75周年記念号」
(1994年/キネマ旬報社)

フランスの映画監督・ギャスパーノエ氏と、映画監督・
松井良彦監督の3人で対談を行なった。シネスコのアナモ
レンズ拡大ややフィルムの増感によって生じる、荒い質感、
フィルムから湧き出る汗や臭いなどについて語った。









「Rey」
(1992年/主婦の友社)

新宿駅前で、自主グループによる街頭で紙芝居を
行なっていたところ、偶然居合わせた編集部に取材され、
雑誌で紹介された。








「学習の友」(1984年・4月号/
編集:労働者教育協会/発行:学習の友社)

映画監督・故・板谷紀之氏作「核トマホークくるな」の
紙芝居の作画をお手伝いしたのだが、
この雑誌にその紙芝居が掲載されている。








「映産労の歴史」(1984年/
編集・発行:映産労スタジオメイツ分会※現アニメ点在)

戦後の映画・テレビ・アニメなどの労働運動や
労働組合の歩みや経験、エピソードなどを
座談会形式でまとめた本。自費出版。








「アニメーターのための撮影技術の手引き」
(1978/編集:同編集委員会/発行:映産労)

商業アニメ・映画・放送の労働組合有志、現場に働くスタッフ
(主にアニメのカメラマン)らが協力し合い生まれた本。アナログの
セルやフィルムによるアニメーション撮影について図解入りで詳しく
解説してある。商業アニメの撮影専門書はそれまでほとんどなく、
一時期は専門学校の教科書として毎年注文があり重版が続いたが、
アニメがデジタル化されてから、当然の事ながら全く売れなくなってしまった。
各撮影所に取材に出かけカメラマンの話を聞き、
約8割の原稿や図版を書いた。
版を重ねるたびに表紙の色を変えたそうである。






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