BLブラシの自作・靄フィルターのおかげでデジタル特有の違和感は払拭され、
彩色や撮影に専念できるようになった。吐瀉物のSEは塗れた雑巾を叩いて作
るのだが、この方法は20歳代の時、三里塚映画の録音技師から教わった。今
では感謝している。濡れ雑巾はその後、音響会社に入社した時にも大変役立
った。デンスケ以降の録音自史は、DAT、MDと代わり、現在はなんとiriverで
済ませている。あくまで手軽さを優先したいためだ。その昔、ポスプロの人
から「フィルムからテレシネした部分とデジタルで追加した部分はフィルム・
ノイズの差が如実に出ますよ」と忠告され、そうでもないだろうと最初、高
をくくっていたら、ザグレブの大劇場で聞いた時、その差がクリアに出てあ
わてた事がある。しかし、その編集点が偶然にも幸いし、技術事故は逆に異
様な演出効果を生んだ。以降、その手法を好んで使っている。iriverの録音
部分のみ微弱なホワイトノイズが入っているかもしれないが、面倒で確認は
していない。要は小さいスペースのみでかければ良い訳だ。ATG「少年」では
全編、同様な継ぎ接ぎ点があからさまで(劇場視聴時)こちらはどう聴いて
もテクニカル・ミスにしか感じられなかった。当時の観念映画は現実音皆無
が多く、退屈の最たる原因の一つにしか感じられなかった。(2011.11.22)










下の10枚はだいぶ前に仕上・撮影したもの。上の10枚が最近のもの。
影の付き方やBGの塗り方などが、微妙に、スケジュール重視に
変わっている。ただし肉眼ではわからないほどのモヤ(ケラレ+パラ
+BLブラシを合わせたようなもの)を最上段に置いて撮っている。
障害物を挟んだ、深いなめのショットでは千元誠三氏、ロケのシーン
では、川上皓市氏のカメラを参考にさせていただいた。
10枚目の光は日光だが、白に白のスーパーは意味が無いので、間に
BLブラシや赤パラなどが挟まれている。さらにこのカットは
ペーパーノイズがふんだんに入っている。(2011.11.5)









ここにアップロードをしはじめた理由は、いつどんな事態が日本に、
いや世界に起こるかわからなくなってきたためである。3.11の福島
原子炉の爆発の瞬間、もう最後かと死を意識した。多くの人を犠牲
にし、今も犠牲にし続ける中、文字通り偶然にも生き残った。かつ
ては、モンタージュと暗喩のみで社会にメッセージをと思っていた
が、この日を境に具体的な発言も多くなった。一度は死んだかもし
れない身、規制無く主張する事に何のためらいがいるだろうか。

いつの頃からか、無機的な都市を愛し、特に港湾地帯の風景や空気
を愛するようになった。幼児期、生まれ育った田舎の残酷さ・おぞ
ましさを、いやというほど味わされたせいだろうか。19歳になり
東京に来てみると、そこには田舎では目にする事のできない映画・
映像・演劇・音楽・書籍・展示などが渦を巻いていた。田舎にが海
が無いためか、人間の本能がうずくのか、いまも年に数回、カメラ
とマイクを持ち一人で港にロケや取材に出かける。左下のカットは、
久しぶりに太陽の間接光(日陰)を使って撮影した。(2011.9.13)







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