最下段の5つのみが最近のテイク。それ以外はだいぶ昔に撮影したもので
ほとんど予告編(version:1)に収録されており、いくつかのスペースでも試写した。
もうひとつの作品と2つの予告編をセットにして関係者に配ったりもしている。
ヨーロッパでインターネットに流出したが、実は流出したのは、もう一方の
作品のみであり、さらに、この作品完成の緊急性と必要性を痛感した。
現実と架空の世界を混同する意識層も増え、もう一方の作品の上映
には大きなリスクを伴うが、まずこちらの作品公開により理解をとりつけたい。
過去のスチールを今見ると、ぎたぎたと脂ぎっているように見える。最近の
スチールがさっぱりしているのは、2時間・1000カットの長尺の場合、こう
しないと生きている間に完成しないと判断したからである。(2011.9.5)









一時期、柄にも無くイーストマン調を試みたが、あとから見返す
と、やはりしっくりこないので、再び富士フィルム調に戻し始めた。
もともと中学2年以来、富士以外使った事がなく、昔、コダックで
16mmを回さねばならない時は知人に頼んだ。テレビのシリーズ時
には、撮影監督に、富士で、と頼んだ。川又昂氏のカメラも模して
みたが、これも再びティッセと宮島義勇氏的イメージに戻した。画面
の色調・調子(質感)・アスペクト比・素材の解像度など、映像の
すべてに、幼児期に受けた家庭・社会環境の負の程度を反映させたい。
日本の持つ怨の要素を語り継ぐ事をやめてはならない。都の精神科夜間
救急が発足したのは1978年。経緯はテロップに記した。(2011.8.28)








このドラマは1990〜1994年が舞台である。だから当時のロケハンや、
撮影した資料写真の多さが物を言う。携帯やパソコンの
普及率も型も違うし、女性のファッションも重ね着の方法も
違う。ドラマの中では時代に準じて「看護婦」という台詞が
ある。当時の版下の記録媒体はまだMOであった。
湿度の表現も非常に重要で、ようやく最近、デジタルにも慣れ、
春夏秋冬の湿度表現をコントロールできるようになった。
上段三枚目は太陽光のスーパーに加えガンマ値で補正してある。
しかし、実際に野外で撮影する事の大切さ・尊さを忘れては
ならない。そう思いつつも、つい、野外撮影・カメラ・スキャンの
三者の質感を比較してしまい、観客に一番ストレートに伝わる
ものを選択する癖がついてしまった。また、うっかり自分と同じ
左利きの食事を登場人物たちにさせてしまった。直すのも面倒なので
自分と同じ左利き優先の両利きという設定にした。(2011.8.16)










かつて精神科医の齋藤学氏は、家族は一種の暴力装置であると述べた。
もちろん、時代や地域の差などによる例外はあるだろうが
その装置が動き出してしまった場合、これほど遠慮なしに人を傷付け、
生きるエネルギーを奪う、もっとも身近で深刻な暴力装置が他にあるだろうか。
上のスチルは、原作にはないオリジナルのシーンだが、実際の体験をもとに、
家族・親子・親戚間に介在する数々の心理的虐待、それに対する疑問や憎悪を
「結婚」「子供」というモチーフを使って、表向きは静かに、
しかし心の中では激しく描いた。(2011.7.9)



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東日本大震災・原発人災後の、初めての長編スチルのアップ。
一度は日本全土、被爆していたかもしれない、震源地によっては、
一度は死んだかもしれない身。主張する事に関して、なんの戸惑いがあろうか。
残された寿命を使って、作品を通して社会に訴える事、
やり場の無い多くの怒りを作品に叩きつけて表現する事は
健康や安全を脅かすものへの抵抗でもある。
来るべき東南海三連動地震、東京直下地震、
富士山の爆発、2030年戦後の小惑星アボフィスの地球への接近…。
アボフィスについては、2009年、JAXAのメンバーが国連情報をテレビで発言した。
それなのに、まだ原発で利益を貪ろうとする人々がいる。
もう余分な時間は残されていない。



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