1990年代は主に企業の資本で映像を作っていた。スポンサーの会社がどこかへ
行ってしまった作品を抜粋して、2004年にUplinkで、タイトルを変え一回だけ
上映した。上のスチルはオリジナル・ビデオ「デス・ワールド」(1995年)。
バンコクの混乱した事件現場を追ったドキュメンタリー。
ナレーションは今、映画やテレビで活躍している俳優のH氏が担当している。
音楽は当初、今漫画家で活躍中のK氏の曲を使用する予定だったが、会社に
ギャラを払う予算が無くフリー音源を使用した。
Uplinkで上映した時はオリジナルに差し替えた。
それまで、MUやβcamしか使った事が無かった私は、この時初めてDUを使わ
せてもらい、その安定した品質に感動した記憶がある。販売はVHS。






  

  

このスチルは企業VP「ニュー・ラブ」(1993年)。ガ二オンを模したスーパー・
リアリズム、妙な角度の照明など、随分クレームを受けた。初めてのデートで
食事中男性が女性を指差すのはおかしいと言われたが(そうだろうか?)、
結局取り直す予算が無いのでそのまま残った。これもUplinkで上映したが
この会社も未払いのまま消えてしまった。
このVPの撮影・編集はβcamで頒布はVHS。ポスト・プロは馴染みの所が都内に
何箇所かあったが、ノンリニアの隆盛とともに関係が遠ざかってしまった。
最後に利用したのは2004である。






  

1995年、レッツハミングという雑誌に読み切りの漫画を描いた。ストーリー原案
は別の人が担当したので作画だけ担当。愛用しているパイロット・プチの他、
ロットリングを使った。その頃デジタル・トーンが発売されはじめていたが、
トーンはノーマルな網のみ。アミを2つ重ねてモアレを作る方法は今では懐か
しい技法かもしれない。






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1980年代、休日は月に2日(日曜)ぐらいしかなかった。なるべく映画館に
通った。見た映画の印象を基に、会社で仕事の合間に新作用のアイデアを
練った。1:Lady Beware(邦題:愛は危険な香り)、2:アマデウス、
3:少年、4:黒い瞳(ミハルコフ)など



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